どくしょかんそうぶん

「ビルマの竪琴」を観た

本作にはいくつかバージョンがあるらしいが、自分が観たものはクレジット表記によれば総集編とのことで、1956年のバージョン。中井貴一が主演だとばかり思いこんでいたが、それは後年の別バージョンのようだ。

実に美しい物語。仏僧が肩にインコを載せて竪琴を弾くというのも、今風に言えばとても映え。1956年なら、実際に戦地を体験をした人が、本作を観ただろう。その心境は如何ばかりか。戦禍を生き抜いて本土に帰ってきた人々にはどのように映っただろうか。作中のようにゴロゴロと転がる戦友の亡骸を横目に帰還した人もおるだろう。

私が弔わねばならんのだ、という決意は凛として美しいようでもあり、また一方では破れかぶれにも思える。メシア気取りのサイコ野郎。しみじみと感傷的にしているものは、やっぱり歌なのだろう。ただただ、祖国を思い出すための歌声。これがもしブラックメタルとかだと亡骸にアヘン振りまいてつるして焼いたれ、みたいな。ラップなら英国への批判をぶちまけ、”観客”を扇動。鬼畜米英何するものぞの精神は東南アジアの独立の気運を奮い立たせ、史実、世界地図を塗り替えることとなったのである!!

ビルマのもめごと

しかし捕虜があんな呑気にしていられたものかね?あの面々が苛烈な環境に置かれているのであれば、こんな「良い話」の作品となるのかは、疑わしい。観ているほうは水島はうまく逃げたなあ、という印象になり、何が弔いだボケという…。でもまあ、そこをどうこう言う作品ではございません。名作でございました。

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