ふでのゆくまま

ミリコー

傘を忘れたら天気予報が外れて晴れた。わああああああ、遅刻遅刻どうしましょどうしましょとあわてて駅まで走ったらとんでもない事故で動いてない。・・・たんなる偶然だよな。二つの頃柄の二つの事象が重なっただけ。そこに意味をつけるのは当人だけで、実際、遅刻せずに駅に着いた人には忌々しい出来事に過ぎない。あああ、傘が邪魔だああああ。

だけど時に、それは起こる。人々は「あれは奇跡だ」と述懐する。こーいうの。

運の使い道を選べたら?ある一瞬に100%使う?小分けにする?あるいは誰かに売ったりして?「あああ、傘忘れた!よーし、じゃあ、今日は運を使って、外にいる時間だけ雨が降らないようにするぞー!」便利ですね。でもそれ、運じゃないんじゃないかしらん。特定の結果を無理やり捻出するのが運かと。どうやろ。どうも運が良いというのは、後で振り返って、「あれは運が良かったなあ~」なんて言うものではないかしらん。特に恣意的じゃない結果が、どうやら自分に利益になったと。それが運が良いってもんだろう。ほら、それが僥倖かどうかは個人の事情によるわけじゃん?株価がどがががががが、と急降下するとかね。自殺したい人間が助かったのはどうなんだ?運が良いのか?悪いのか?

運を使うにしても、「そう言えば都合の良い事あったな~、あー、あそこで運を使ったのかな~」なんて、何処でどう作用したかわからんと。狙った結果が出せるならそれは神の奇跡というわけ。だから、あまりにも運による(と思われる)都合の良い事態に、人々は神との繋がりを感じ、奇跡の名を口にする。それが当人にとっては実は不運だった、なんてオチもなさそうな、誰もがその一瞬だけでもそうあってほしいと願った、一秒先の未来が実現する瞬間。祈りは通じたのだ。

奇跡は存在し、神も存在する。

ゆえに、永遠に奇跡との邂逅を果たせぬままの人々がいる。神を汚すこともなく、従順なままに潰えた人々、彼らこそが我らの礎となっていることを思うと、「ラッキー♪」なんて口に出すのも憚られるのですよ・・・・。

2件のコメント

  • NAF

    > 。そこに意味をつけるのは当人だけ

    2億を当てても、殺されちゃう人もいるわけで。

    そういえばこの夏、会社の男子トイレが事故で詰まった際、
    たまたま現場に居合わせた後輩君が容疑者というか
    超重要参考人として社内の男性スタッフにいぢられる悲劇(?)が。

    その後輩君は競馬がご趣味のため、トイレが直った後で私は
    「きっと週末のレースはウンに恵まれるよ♪」
    と言ってあげたのですが、残念ながら惨敗したそうです。
    そうなのです。勝手に物事に意味づけするのは本人(か関係者)なのです。

    余談ですが週明けの後輩君の決め台詞は
    「またトイレ詰まらせなくっちゃ・・・」
    でした。

  • いしにょ

    そんな事件があったのですか・・・なんとも・・・。この分だと、この週明けにはまた路頭に迷うハメになる方がでるでしょう。自分だって関係ないとはいえませんし。

    しかし競馬パチンコは国家がバックについてるとはいえ衰えませんねー。

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