どくしょかんそうぶん

「八つ」を観た。

ググろうとすると著名な日本の映画がヒットしてしまう悲しみ。原題は「Ei8ht」

ネタバレです。これはお勧めの作品なのでネタバレ嫌な人はこんな場末のブログなど読まずに直ぐに作品を見ましょう。

作品が始まってしばらく。鑑賞していると、ふとこのタイトルの意味に気付いて「ぬおっ」と驚いた。気付いたからには作中、最後までずっとそこが気になって気になって。まあそのトリックというか状態こそがストーリーの本質であるわけで、そこに注視しても楽しみを妨げない。ところが映画を見終わってから作品紹介文に堂々とその意味が書いてあるのに気付いてさらに「ぬおおおおおおおおっ」って。そこでわかっちゃうのちょっと興ざめ過ぎないでしょうか。まあ、他にもそういう作品と紹介文はいくらでもあるでしょうし、自分が作品中で先に気付いたからこういう感想になるのかもしれません。がっかりポイントの一つではありますが、紹介文を回避して作品に辿り着くのも困難なので、意図せず紹介文的コンテンツをすべて見逃して先に鑑賞した自分は運が良かった。皆さんにも一応避ける努力を推奨しますよ?

で。観れば、これがどういうシチュエーションでの物語か分かる、という人が多数かと思う。説明的なものは一切なく、一人の登場人物をカメラが追うだけであるにもかかわらず。こういうシチュエーションに直面した人生がこの世界にあまた存在しているのは、認知されていると思う。だから、意味が分からないという事にはならないと思う。敢えて言うならわかりやすい。奇異に映りこそすれ、演技の意味がわからないというものでもないと思う。逆にもし、全くわからない人には見どころはない作品ではある。例えば肌の色が違う人種を知らない人は、なんでそんな色を塗っている?と思うかもしれない。象を知らない人は、誰かの象の物まねを評価することができない。この作品を観始めて「なんだこれは?」という人は、おそらく本当にこいう人々について何も知らないタイプかもしれない。

エンディングに向けての流れが、如何にも映画的手法な感じのあるドキュメンタリー作品なんかと比べると、とても斬新でした。あれだけ困難だった壁をクリアし、あばばばばばばばばって混乱したまま外に出ると、それはそれは、そこには普通の世界しかありませんでした、と。朝の街並み。そらそうだよね。平穏だとも言えるでしょう。冷徹だとも言えるでしょうよ。その中にただ一人佇む、あの人物の姿の凛々しい事。そのまま第一話完、みたいな。ゲームだったらLoadingとか言い出しそうな場面で、映画はエンディングへ進む。びっくりしてしまった。

これは、万事解決ばんざーいって適当に抱き合って喜んで終わるような、感動物語じゃないんだよね。果たして明日には?というかそれ以前にその日これからどうする。自分にはちっとも救われずにすごすごとおうちに引っ込んでいってしまったようにも見えた。展開が腑に落ちないとか、後味が悪いとか言い方はいろいろあるかもしれないけど、また一つ確認できることには、”お外”は確かに恒常であり、あばばばばばばばばと騒いでいるのは自分だけでありました、というのも救いですよね。「あ、原因おれだったはwwwwwwww」という心持ちに落ち着くのも、救いなんです。違いますか?

斬新と言えば作品一本を通してシーンチェンジがなく、ずっとカメラが物理的に演者を追い続けたまま最後まで進行します。場面も彼女の周りだけ。例えば振り向いたら別の角度から撮るとかもない。電話が鳴ったら次のシーンは電話のアップ、とかあるあるもない。だからカメラに視線が来ることもない。カメラの移動が終わってから何かを始める、というような間を感じなくもないけどねwwwwwwww実際の撮影時にはそらNGも出るだろうし、見ている人には気付かないようにある程度の時間で繋いであるのかもしれない。まあ見る分には全くわからない。コメンタリーとかあったら面白そう。amazonプライムビデオにはそういうのないからなあ。

演技は素晴らしいの一言。本当に見事なもんだなと思う。これは映画なんですよねえ。あと、おっ8い。( ゚∀゚)o彡゜

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