むじか

オートメーションは電気オタマジャクシの夢を見るか

納豆に餃子のたれをかけてしまったとかコインランドリー行ってきたとかそういうのも下書きにあったけどたまには自分の人生に背を向けて似つかわしくない薀蓄にてご機嫌を伺います。

こんぴーたーの利点のメイン。処理の自動化、継続化の永続性。適当に言ったけどまあそんなもん。人間の耳が認識できる音の数には絶対に限界がある。周波数…だっけ、の上限と下限。音量の上限と下限。音程の認識は大体の人がいっしょだと思う。音程が半音上がるということを殆どの人は認識できる。時間進行に連動?して変化するそれが、音楽のもと、みたいなもんである。適当に言ったけどまあそんなもん。

さて、音の組み合わせであるところの音楽、いつまでも組み合わせを生成し続けるコンピューターに作業させ続けたらどうなるか。組み合わせは完結するだろうか。人間の聞き取れる領域のすべての音に、長さ音程強弱を付けましてー、組み合わせて組み合わせて…。おそらく何時かはパターンを網羅するだろうけども、それこそ「五劫の擦り切れ」つうやつで、その終了を確認する見込みはなかろう…。見積もりすら立つまいに。

すでにこのテーマに関連するようなプロジェクトが実行されている。ジョン・ケージの曲を639年かかけて演奏するというもの。この教会にオルガンが設置されてから639年後に演奏が始まるということで、終わりも639年後になっているようで。

News – John-Cage-Orgelprojekt Halberstadt

音楽には演奏というフェーズがあった。「コンピュータの音楽自動生成」と聞いて、みんなその生成した曲がコンピューターから鳴るところまで想像したに違いないのだけれども、この639年の曲みたいに、実際にはもっと複雑な要素があるらしい。残響音の具合が違うとか言い出したりしてね。

音楽のコンプリートはやはり想像以上に難しいようだ。しかしある程度のところで加算的な見通しができたら、ひとつ想像していることがある。サルのシェークスピア。知ってるかね。サルにランダムにキーボードを叩かせたら、シェークスピアの作品が出来上がる、というやつ。主に確率のたとえで、そのぐらい低い確率であることをしめすエピソード?である。ここで、先の音楽生成の例を加えたい。コンピューターに音楽を作らせたらそれが鳥肌実の演説に一致する確率である。とか。

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